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2003


<2003>

歯痛
 年末になって歯のトラブルが続いてしまった。
上あごの犬歯の一本が猛烈に痛んで、備え付けの鎮痛剤を何だが効かず、半日間氷水を含みながらの仕事
になってしまった。
翌朝には、入れ歯を支えていた下あごの歯一本が真っ二つに割れてしまった。
さっそく歯医者の予約をして治療を受けたのだが、割れた歯を治すまで仮歯で入れ歯を支えることになった。
「直るまで入れ歯がすこし浮きますが、これで使っていてください」と告げられ納得して帰宅した。
義歯が出来るまでの四日間と軽く考えていたのだが、物を食べていると、何かの拍子に、「ポッ」と浮いてしまう。
そんな「ポッ」を何度か繰り返すうちに、舌先で「ポッ」とはずすことを覚えてしまった。
 私が幼かった頃、父親が開け放った縁側に向かって、畳みの上に新聞を広げて読みながら、「モグ モグ カチツ」「モグ モグ モグ カチツ」と入れ歯を口の中で遊んでいた様子を思い出していた。
 私は、まさか仕事の最中にやってはいないと思うが気になってきた、それは歩きながら「モグ モグ」、電車の中で「モグ モグ」とやっているのに気がついたからだ。
他人の目には、なんともマヌケな姿なんだろうなと考えるだけでウンザリしてしまう。
そして今また、この原稿をたたきながら「モグ モグ」とやっている、やらずにはいられないのである。
そしてやっと気がついたのだが、食うとき以外は入れ歯ははずして置けばいいということだった。
 邪気が薄らいだとはいえ、まだまだこんなことを家族に知られたくはない。
我輩は終戦生まれの一匹犬を自認しているのである。
                                                          (03/12/31 )

 
 11月下旬になって、やっと木枯らしも吹いた。
きのう今日と生垣の茂みからウグイスの笹鳴きも聞こえてきた。
朝夕もめっきり冷え込むようになって、落ち葉が朝の階段に張り付くようになった。
  一杯飲んだ夜、夜中に目覚めてしまって、 目覚めついでに眼鏡をとって窓を開けて夜空を見上げてみた。
キーンと青白く澄み渡った中に星々が静かに浮いていた。
子供の頃、本と見比べながら探したいくつかの星座とおぼろげな思い出が、冷気に搾り出されるように浮かんできて、いつまでも空を見上げていたい思いに駆られていた。
今夜は久しぶりにお袋が泊りがけで来てくれている。 もぞもぞと重そうに寝返りをうったのは、冷え切った夜気を感じたに違いなかった。
私はもう少しだけ冷気の中で眺めていたかったが、思い出の続きは夢の中で見てやろうと、静かに窓閉めながら思っていた。
夜明けまでには、まだたっぷり時間があった。
                                                        (2003/11/22)

10月1日
  一日の朝の散歩中モズの姿を観た。
住宅街のアンテナからアンテナへと、飛び石伝いにキュンキュンと鳴いている。
いかにもモズらしい鋭い鳴き方だが、緊迫感のないモズの姿だ。
ここ数日の急な冷え込みだが、まだライバルのモズは姿を現さないのだろう。
テリトリーが決まったかどうかは判らないがいかにも穏やかそうに見てとれる。
毎年繰り返されるこうした動物暦、植物暦、気候暦。
私は朝ナ夕ナ,五感を目一杯開いて、少しの時間であるが四季の移ろいを堪能している。
この時季、よくぞこの星に生まれける・・・・と心底思えるのである。
                                                    (2003/10/2)

シニア最後の夏
   7月23日〜8月4日全米選手権、8月4日〜8月9日全日本選手権、8月17日〜21日ジャイアンツカップと息が詰まりそうな試合スケジュールが終わった。
息子のシニア最後の夏は充実して最高の結果を残すことが出来て喜んでいる。
総ての公式戦が終わった息子は何日か放心したような怠惰な日を過ごした後はごたぶんにもれずやり残した宿題を済ますべく塾通いを始めた(何、数日間のみだが・・・)。
気抜けして一人布団の中でまどろむ私の耳にはコオロギの細くリズミカルな鳴き声が心地よくいつまでも聞こえてくる。
朝夕はすっかり秋の気配が漂ってきた。
階下から時折笑う声が聞こえてくる、家族はまだ談笑中のようだ。
                                                    (2003/8/29)                                

梅雨に思うこと
 子供の頃、九州の鉱で暮らしていたが、この時季の雨は一ヶ月ほど、ほぼ毎日のように降り続く。
これほどの水がよくも空の上に溜まっているのかと驚くほどである。(雨は、水分を多く含んだ大気の流入によって次々に供給されると言うことを長じて知ったことであった)
 我が家の前は広い池で、雨水を集めた緑色の水面が、白く泡立ちながら上昇してくると、水の上に張り出していた枝葉が水中に没する。 こうなると池が太って見えたものだ。
こんな梅雨でもたまには晴れ間も見えたりするのだが、こんな時、各家からは明るい顔の子どもたちが、いっせいに外へ飛び出す。 大人とて同じことで、大急ぎで洗濯物を持ち出すのだ。
雨音が止んで静まりかえった池の水は澄んで、カイツブリの親子の姿も見えた。
こんな子供の頃の風景だが、緑に囲まれ、暑さ寒さをあたりまえとして暮らせたことは、幸せだったんだなと心底思える今日この頃である。
 我が家の三人の子どもたちは、持ち合わせた感情、感覚のどれだけを周囲の自然に向けているのであろうか。 いや、無意識のうちに感じ取っているのであろうか。
暑い寒いのほか四季の移ろいの言葉はほとんど聞こえては来ない。一方、テレビから無神経に流れてくる暴力シーンや悲惨な事故シーンに目をそむけることもない。
全くやるせない時代になったものである。
                                                      (2003/07/01)
 

夏のプロローグ

 照葉樹の控えめな花たちが終わって、緑の葉の間にはいつのまにか葉と同じ色の木の実の子供たちが揃
っている。
ツバメは子育てに入り、巣の材料集めに度々降り立った斜面のヌタバには振り向きもせず、高く低く餌を追っている。
老夫婦の住む二階家の戸袋からツグミの子達が大騒ぎしている声が聞こえてくる。
ヒマラヤスギのカラスの甘い声も途絶えて、せっせと枝集めに励んでいる。
公園の樹間を抜けると、時折クモの糸を顔に感じる。
野いちごの花がしぼんで緑色の硬い実をつけた。
桜の深い緑の中にはルビー色のさくらんぼがツンとすましている。
北側の湿った斜面にはユキノシタの花が開いた。
いよいよ子連れの鳥たちがあちこちで見られるようになった。
こんなことを身近に感じながら今年も無為無策の半年が過ぎようとしている。
            

                                                        (2000/6/2)

マウンド上から「すまん」

 我が息子は中学三年でシニアリーグで野球をやっている。 
小学一年で始めた時からキャッチャーで、たいした怪我もせずに続けられている。
 丁度今の時期は、大きな大会が毎週末開かれていて,折々に母親が撮ったビデオを見ながら喜んだり、繰り返し観ながら反省したりである。
 昨夜、この春休み大阪で開かれていた選抜大会のビデオを観ながら話してくれた。
其のゲームもヒットを打って,4球も三つ目を選んだとき、相手の投手がマウンドから、一塁まで歩いた息子に向かって「スマン」と会釈を送ってきた。
息子は一塁の塁乗から「あア、わかってるよ、気にしないで」と返事を返したそうだ。
 彼らはお互い敵同士とはいえ、日ごろは仲の良いチーム同士だそうである。
抜きつぬかれつの熾烈な戦いになった決勝戦で、投手のN君は息子と真っ向勝負が出来なかったことを、マウンド上から息子に詫びた。彼としては、勝負をしたかったのだろう。
息子は彼の心情を理解して一塁の塁上から返事を返した。
この話を聞いて、厳しい戦いの中でも、子供同士の友情が豊かに育まれているのだなと知ることが出来た。
そんなビデオのシーンをさらっと話してくれた。
私は、有難いなと思ったと同時に、息子がいないときに其のシーンを探し出して、この目に焼きつけておきたいなとも思った。
シニアとしの野球もあと3ヶ月、この夏には終わる。

(2003/5/3)

観桜など

  私用で三日間アトリエを休んだ。
その間、歩道に覆いかぶさっていたモクレンの白い花びらが散り、ケヤキの枝先には燕麦の様な若芽が一斉に吹き出した。
さっぱり変わり映えがしない樹形だと思っていたイチョウの樹には、有刺鉄線に似た若葉が揃い出ているのに気がついた。 おりしも桜は満開になり春風に揺れている。野鳥のヒヨドリ、メジロ、スズメたちが息を詰めた様子で、花の蜜を吸い漁っている。
花の命の短さを知ってか知らずかはしらないが、どの固体も皆一様に真剣そのもので、楽しんで蜜を吸っているそぶりはない。 当たり前の話だが冷蔵庫もない、蜜を貯める「瓶」も持たない彼らである。
ただ小さな胃袋を満たし続けなければ明日がないのである。
人は観桜などと云い花を愛でる。 その心にカンパイ。

(2003/4/4)

土手の土筆
  公園下のテニスコート横の土手に、土筆が生え揃って朝の風に揺れていた。
毎朝この土手の横を、なにか季節のタヨリがないかと探しながら歩いているのだが、もう10センチ以上も伸びて、そこここに杉の子も出ているのに不覚にも気がつかなかった。
まさか一晩にしてここまで伸びはしないだろうに。
この斜面にはほとんど緑色したものは見えないが、ただ足元にヨモギと、数えられるほどの花が咲いたフキノトウの群落がちょぼちょぼ目に付くくらいなのだ。
それなのに愛犬の散歩の途中、毎朝見ているはずの私は、気がつかなかったことになる。
そのときたぶん「かえるの目」のような状態になっていたのだろう。
「こんなに暖かくなったのに、この土手の草は総て枯れてしまったのではないかなア―」などと思って、土手の横を通っていたもんだから、目に映ったであろう若い土筆の群落は脳細胞までは届かなかった。
視覚の情報より、思い込みの方が優先された結果、脳に届く前で視覚の情報が消えてしまったようだ。
日ごろから思い込みが人一倍強い気がしている私であるが、用心用心。
(2003/3/27)

番傘
 寒に入って、なんとなく春の兆しを探りたい気分になってきた。
今朝は雪も舞って、寒がいくらかででも緩んだのかもしれない。
いつもの最寄の駅を出ると雨になっていた。
歩いているうちに落ちてくる雨の量以上に傘を打つ雨音が激しいのに気がついた。
足元を良く見ると透明の粒がはねているのが判る、氷粒になって落ちてきているのだ。
私が子供の頃は番傘を使っていたから、雨粒が番傘に当たると頭上で盛大な音がしたものだ。
これは紙に油を塗りこんだ傘で、開く時、紙をはがすようなバリバリという大きな音がして、頭上が急に明るくなり、数十本の細い竹の骨が放射状に広がってその根元は色とりどりの鮮やかな糸で編み上げてあった。
結構手の込んだ編み方をしてあったようで、飽きずに眺めたものだ。
友達の中には、雨よけには役に立たないのではないかと思うほど破れて、裂けてしまった傘を差している者もいた。
この傘は重いうえに古くなると水を吸って破れやすくなったし、雨でも上がろうものなら、格好の遊び道具になって破ってしまったのだ。
今朝の通勤で久しぶりに、妙に新鮮な雨音を感じて、50年も前の雨の日の番傘を思い出していた。
(2003/1/20)

私は酉年
 元旦の散歩で、カラスが口にくわえた白い塊を、公園の枯れ草の中に押し込んで、落ち葉を上にかけているのを見た。カラスが飛び去るのを見届けて、隠したものが何かを確かめたのだが、それは乾いた飯のかたま りだった。次の朝、同じところを覗いて見たのだが、その塊は見つからなかった。昨日の夕飯にとその塊を持ち去ってしまったのかどうかは知る由もないのだが、食い物を隠すカラスのこんな習性はモズのハヤニエ同様 、時折観察することが出来る。トリ類は三歩歩くと、前のことは忘れてしまう程、忘れっぽいそうだが、何の為に椅子から立ち上がったのか、一瞬フリーズしてしまうことを度々経験する私は、昭和20年生まれの「酉」である。嗚呼 南無鳥大明神様
(2003/01/10) 

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