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<2005>
今日からいよいよ師走。
枕元で伸びをする愛犬の気配で目が覚めた。
布団から腕を伸ばして形ばかりの挨拶をして起き上がり、二重に下ろしたカーテンを一気に引いて、エイッとばかりに窓を開けると
冷え切った外気が部屋の中になだれ込み一晩温まって心地よい部屋の空気にとってかわる。
私は窓に向かって硬い外気を用心深く吸い込んで、胸腔をみたし、やおらフカフカに膨れ上がった布団を畳む。
今朝は雪雲に隠れた富士山頂あたりから、我が家の真上にかけて、丁度鳳凰が翼を開いたようにおおきく弧を描いた灰色の雲が
南の空を覆っている。
一方北半分の空は白々と青く、一片の雲も見当たらない。
いかにも寒々しい限りだ。
ただ赤い垂直尾翼の旅客機が薄い絹布を裂いたような雲を引き連れて、低い太陽の光を受けながら、高々度をゆっくりと西方に
向かう。
ここのところ、やっと大陸から南下した乾ききった寒気に支配されている関東地方である。
いつもは涙目の愛犬の瞳まで渇いて見える今日この頃である。
(2005/12/01)
雨続きの週末

 この秋は、週末ごとに天気が崩れて、もう一月以上にもなったようだ。
多くのメデイアで行楽の秋スポーツの秋といつもの年のように笛を吹いてはいたが、受け入れ側の期待もむなしく、気がつけば今
日からはや霜月、あちらこちらから降霜のニュースが届き始めた 。
ことしは春以来、週末は末子の野球の応援と決めていた私も、この秋ほど後ろのほうにずれて間がわるい「三寒四温」の安定し
た年は なかったようなきがする。いやその傾向はまだ続いている。
そして週末の天気予報がこれほどまでも気掛かりな秋はほんとになかったように思う。
今年の秋の県大会は、幸いにもチームは勝ち進み一番盛り上がったところでグランド不良のために試合が順延となり、スタジア
ムが満員になると予想さ れた決勝は、ウイークデーに開催された。
そして今度の週末、群馬県で開催される関東大会は勝ち進むと、週末はまたまた雨の予報が出ているようでおおいに気掛かりで
ある。
  今朝、私は朝食の牛乳を飲みながら「あぁ・・・野球の応援に行くのやめようかなぁ・・」とうっかり口にしてしまったら「キツ」とワイ
フににらまれてしまった。
春の選抜大会の出場をかけた大一番のこの大会、なかなか都合が付かず群馬まで日帰りを決めた吾がワイフは「○○命」の強
力な応 援団長でもアリマス。

(2005/11/01)
毛繕いのカモ
  昨夜来の雨で寝苦しさから開放され、今朝はすっきり目覚めることが出来た。
それにしても昨日、一作日の突然の暑さはなんだったのだろうか。
歩く事には自信が有ったのだが,少しの上り坂で酸欠状態に気が付いて驚いてしまった。
私にはそれほど突然で強烈な暑さだったのである。

そして一夜明けた今朝方の涼しさは心地よくて、愛犬と共に雨の中を口笛で“雨に歌えば”を吹きながら気分よく散歩をこなしてきた。

やはりこの降りだもの、誰にも会うことはなかった。

しかし、散歩コースにあるテニスコートに、一羽のカモが飛来していて、毛繕いに余念が無い様子だったのだが、たった一面きりの、高いネットに囲まれた狭いテニスコートからどうやって飛び立つのかなと気掛かりになった。
着地の時だって水の上のようには行かず、きっと胴体着陸で、ブザマだったに違いなかったろう。

もしかするとそのブザマな様を隠す為に雨の降りしきる中「一心不乱っぽく」毛繕いをしていたのかなと思えて笑ってしまいました。
それにしてもこの辺りには川や田んぼも広がっているし、そこには餌を漁っている仲間たちの姿が幾らでもあるというのにである。

どの世界にもちょっと変わった、妙チクリンな考えをする奴がイルモノダナー、でもきっと長生きは出来ないだろうな、かわいそうに・・・とここまで書いてきてハッとし、ノートから窓の外に目を移してしまいました。

(2005/6/30)

ロボット介護
 夕方のラジオから「うちの開発中のロボットは、横断歩道は渡れましたが・・・」などと九州の自治体がロボットの研究中の話として伝えていたが詳しい開発目的までは聞かずにアトリエを出てきた。

又これまでも何度かテレビでユーモラスに踊るロボットの映像も見て驚いたり、その度にここまで来たかと感心もした。
しかしスゴイナ時代になったナーと感心できるのは、寸分の狂いもなく昼夜にかかわらず延々と長時間労働?に耐えて自動車などを作り続けるロボットや、無線操縦で危険な作業をするロボット、バタリー式のケイジの中で卵を産み続ける鶏の面倒を看るお世話ロボット位までである。

一方では介護ロボットの開発も盛んで、これは来るべき高齢化社会に向けての研究開発の一貫らしいが、こんなの、介護の有資格者に、人がうらやむほどの収入を保証すれば一発で解決することではないか。

 人間の尊厳とか人への本当の優しさなどはどうしたのでしょうか。
研究開発に携わっている人自身、自らが介護ロボットに世話になるとは毛頭考えていないのではないだろうか。普段の生活に何ら不自由の無い普通の人間が、自らが作った介護ロボットによる短期間の体験は、面白おかしく語ることが出来ようが、本当に介護が必要な人間に血の通わない、バーチャル体温、言葉、優しさ、スキンシップ、スマイルなどはどれほどの意味があるのであろうか。およそ健康サイドに居る人間の自己満足ではないかと思えてゾットする。・・・で、近頃毎日老いを自覚させられている私は、ボケ症状が軽い今のうちから「私はロボット介護と延命治療は御免こうむる」と日ごろの行動で示しておかねばと吾が心に誓ったのであります。

(2005/6/1)

夜の空
 5月に入ったというのに、陽が沈むと顔に当たる夜気が妙にとげとげしく思えて、夕食後部屋の窓を開けて夜空を眺めてみて感動した。

ゆっくり流れる綿雲の間から多くの星が見え隠れし、黒い空がどこまでも澄んで、星の輝きはいつになく静かで冴えている。
今夜の空は明らかに時期はずれの様相そしていると感じた。
暫く夜空を眺めていたのだが、いまさらながら、星の美しさ、星の大きさとその配置の妙にはため息をついてしまう。
夜空を流れていく雲にしてもこれ以上低ければ掃いたくなったりうっとうしかったり、また年中浮いていれば気持ちも暗くなるだろうし、晴天のありがたさだってわからない。

月だって一つだから良い。だからお月様なのである。
あの大きさで五個も六個も浮かんでいたら、今夜は三日月だ、満月だ、十六夜だと感傷になんか浸っていられないし、第一目障りだ。陰暦なんかもぐちゃぐちゃになってしまう。

 それにしても無限のひろがりの中で、この地球は誠に適当な場所を得たのではないかなと思えてしまう。
上下左右・・・などとは、なんとも小さな地球的発想だとは思うが・・・とにかく一番バランスの良い一点に寸分も違わぬ位置を得て生命が生まれ育まれている。
そう思うと偶然の結果と考えるより、何かの大きな意思が働いて無限宇宙の中のこの一点を与えられた、と思うほうがより自然だと思えてしまう。
何かの意思から見れば瞬きほどにもならぬであろう吾が生涯であっても、せいぜい地球賛歌の気持ちを持ちつつ暮らしたいものだ。

(2005/4/5)

桜の開花宣言
 開花宣言があった東京、ここ青葉台の桜もやっと開き始めた。
近所の土筆も生えそろい、スギノコが一気に伸びて、北山杉のミニチュア版のように見え始めた。
ヨメナの群落が密生して競い合うように緑葉を広げた様は、テレビカメラが俯瞰するジャングルだ。
花が咲きそうなフキノトウが点々と散らばる斜面はパンパのイメージだ。そして遠く春霞のベールの向こうの奥多摩の山並みは、谷沿いにジグザグの雪模様を残して遅い春を教えている。
富士のお山はまだ綿帽子をかぶったままだ。
 この春、わが家の子供たちは・・・どれだけ本気で仕事に取り組めるか(長男)、・・・保育園勤務が始まった。いかにスムーズに職場になじむか(長女)、・・・焦らず、そして一日も早く先発に復帰するか(次男)・・・と、それぞれのスタートを切った。    私?  私は人生の大きな節目になる年。新作を生み出すことに集中できずにいる。この事を解決しなければ、仕事を継続できないだろう。

(2005/03/31)

フキノトウの春
春の淡雪が地面に吸い取られるようにして消えていった。
公園で有刺鉄線のような芽を付けた大きなイチョウの樹の下では上の方からツツツツツと水分を吸っている音が聞こえたような気がした。
そして褐色の土手の斜面に若草色のフキノトウがパツと芽を吹いた。
だが陽光はその強さを増したとはいえ、この土手は、今朝もところどころに霜柱が泥の帽子をかぶって白い肢を見せていて、フキノトウの若草色の他は、まだほんのわずかばかりのヨモギの若葉が見られるだけだ。
だが新春早々に芽吹いていたわずかばかりのフキノトウは、ずっと寒さに耐え、夜毎の霜にも負けずに、泥にまみれながらおくるみのような葉の数を増して、今やっと白い花芽を見せている。
それと対照的に、ここ数日の陽気で一斉に顔を出した小粒のフキノトウは、たちどころに白い花芽を揃えたようで、芽吹きの遅れを一気にアジャストしてしまった。
大きい株も小さな株も、花を開くのは同時期にという事だろう。
これは開花の時期を合わせて春夏を過ごし、秋の終わりには次世代の為の準備を整えて生を終える。
これが自然の摂理と云うもので、実に上手く出来ていると感心してしまった。
それにしても、私のスタートは世間の言う春よりはずいぶん遅かった。30何年か仕事を続けてきて、もう人生も晩秋に入っていると思うが、未だスタートの遅れを取り戻せないでいる。
気持ちばかり焦る日々がつづく。

(2005/03/07)

携帯電話
4年ほど前は私も携帯電話を持っていました。
1年ほど持って歩いて20通話ほどになっていました。通勤途中は電源オフがあたりまえと思っていたし工房での仕事中はもちろん不要で電源は忘れずに切っておきました。
電話番号は家族と二人の実弟、それに仕事のパートナーだけに教えてありました。携帯電話を欲しいと思ったのは、当時、持病の不整脈が改善されず通勤にも不安だったから、自分が必要なときにオンして使えば事足りると考えたからでした。
もともと乾電池を大切に使うことをしてきた年齢であります。使いもしないのにオンのまま持ち歩くという習慣が私にはありませんでした。オンにしておけば乾電池は確実に消耗します。・・・
携帯電話を使う為には、スイッチをオンにしておかなければならないはずなのですが・・・
だから皆にはすこぶる評判が悪かったのです。そしてある日「私が使うワ」と、ワイフが持っていってしまいました。
以来、ワイフは3人の子供たちや友人たちとメールとやらで連絡を取り合ったりしていて重宝しているようです。
時折、食事中のテーブルに置かれた携帯電話が光を発してクラシックを奏でたりしています。

(2005/01/06)

平成17年正月
 妙ちくりんな気候の為、森羅万象、見るもの聞くものの総てが、おかしいな変だなと思いつつ、感じつつ、なんとなく生活の周りを眺めながら、正月を過ごしてしまった。
 若い頃より外界との接点が少ない生活を自覚していたため、テレビやラジオ,新聞などを見,聴き、読むなどして今時の世の中を批判して見たり、ホホーと理解してみたり、なるほどと納得したり,解らなかったりしていたのだが、近頃テレビやラジオを見るに付け聴くに付け気分が悪くなるばかりだ。
そんなニュースがこれでもかこれでもかと毎日繰り返されている。
テレビにいたっては、百聞は一見にしかずと言うがごとくに、現実のむごたらしさ、猥雑さ、破廉恥さがあらわで正視できないほどである。
それで、生まれてこの方、国民の義務であるが如しに思っていた我らがNHKのニュースさえも見ないようになってしまった。とは言うものの他チャンネルはもっとひどい状態だ。
そこには火事場の野次馬ごときレポーターが真顔で声高に騒いだり、音程のおぼつかないアーチストやら、芸のないただ騒ぐだけのタレントやらがTVの中に巣食っていてまるで遠慮がない。(この惨状をスポンサーは知るまい、そしてスポンサーが見ていないことを担当プロデユーサーは知っている)こちらもまた見るに耐えないのである。・・・とNHKラジオに戻ってこれをBGM代わりに聞いてはいるのだが・・・・NHKラジオも変わったよ近頃、ホント、時々ダイヤル間違ったんではないかなと、一瞬頭をひねることが多くなったよ、ウン。

(2005/01/02)

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