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2004


<2004>
犬の足跡化石
やっと秋らしい日が続いた。
気温は例年より高いらしいが、イチョウの枝先はすでに有刺鉄線のような花芽を残すのみとなってしまった。
公園の赤土の斜面は、この秋のしつこい雨で侵食され、グランドにはミニサイズの扇状地が出来上がっていた。
私は愛犬のリードを引きながら、明るく賑やかな落ち葉を、靴で左右に払ってみた。
そこには意外にも犬の足跡が残されていた。
それは今時の丸いおにぎりを三つまとめたような三角形の先に四つの爪がはっきりと土に食い込んだ跡であった。
その足跡はすでにカチカチに乾いており低い朝日を受けてクッキリと浮かび上がった。
そしてその夜は、恐竜や古代人の足跡化石に思いを馳せていたのであった。
あの足跡は時間の経過とともに公園の黒い表土に隠されて、子供がいなくなったこの地域ではいつしか草や木が生い茂りこの公園も忘れ去られる。何百年か何千年かあるいは何百万年後天変地異でこの土地が地殻の高温高圧下に引き込まれ、気が遠くなるほど遠い将来再度地表近くにに現れる。そこが川のそばだったら、またまた長い時間をかけて川の水に侵食される。そして露頭に現れた足跡の化石に気がついた川遊びに来た子供が、目を輝かせるかもしれない。
などと思いをめぐらせている。初冬のナガーイ夜でありました。

(2004/11/30)

<2004>
朝の習慣
目覚めるとすぐ二重のカーテンを開けて丹沢山塊のスカイラインの様を眺めてみる。
紫色の香りに包まれてまどろんでいる様な春。
海よりの塔ノ沢から、稜線をジグザグになめて秩父方面まで稜線を追って、遠い昔の北アルプスの風の記憶に浸っている夏。
秋は、初冠雪の期待を込めて、富士の頭を探す。
特に氷雨の音が止んだ翌朝など期待度は一段と高まる。
今年は10月も中旬に入り、朝夕など窓ガラスの下にはうっすらと結露が見られるようになったし、生垣のピラカンサの実も真っ赤に色付いた・・・・が、富士の初冠雪は未だ望めないでいる。
例年この時期、一二度は朝シャンの最中にモズの高鳴きと相前後して聞こえてくる軽飛行機のカランカランと云う軽やかな爆音も、今年は一度も聞いてはいない。
里へ下りて来たモズも市井のパイロットもきっと群青色の秋空が広がったミッドオータムの朝を待っているに違いない。

(2004/10/15)

<2004>
いまどきのトウフ屋
アトリエ前の歩道をリヤカーにのぼりを立てて「トーフー」とラッパを鳴らして、豆腐屋が通るようになりました。
「トーフー」と聞こえてくるラッパのリズムは実にばらばらで、ゆっくり売り歩くその速度とは無関係に、「トフ」、「トフ」と吹く人「トーーー」と息が続く限り伸ばして、聞いている僕まで思わず息苦しくなって、挙句、小さく「フツ」とやる人。
ほとんど一歩ごとに「トーフ」「トーフ」とせわしげに吹きまくる人と様々である。
陽が傾いてから遠くに「とーふー」とラッパの音を楽しんだり、湯気の立ち上る出来立ての豆腐を思い浮かべて、夕餉のおかずの一品にと・・・売り歩いているいまどきの若者にはこんな風景はすでに映画の中の世界だけなのかもしれない。
スーパーマーケットに並ぶ個別にパッキングされた豆腐しか経験していない若者なのであろう。
「トーフー」のリズムにしても・・・たぶん本人も楽だと思うのだが・・・も少し考えてほしいものである。
気がつけば、このごろはむしろ「物干し竿―――」のテープの音の方を耳障りなく聞いている私であります。

(2004/10/02)

<2004>
クロヤマアリの餌運び
朝の散歩のときである。門構えらしい大きな楠の木のある公園で、アブラゼミの羽根を運んでいるクロヤマアリが眼に止まった。この力持ちのアリは、羽根を立てて懸命に,見るからに懸命に羽根を運んでいる。アリにとっては相当荒れた地面を、石を乗り越え靴跡を横切る様は、まるで渚のサーフィンをコマオトシで見せられているようだ。愛犬のラインを放して、その様子を追い続けて気がついたのだが、私が最初このアリの動きに気がついてから数メートルもの距離を、しかも山在り谷在り、障害物在りのなかで、ほぼまっすぐに進んでいるということである。アリは餌を探すときには、匂い物資を出しながら、迷子にならないようにしていて、またその匂いをたどりながら巣穴に戻るというようなことが云われているのを知っている。しかしアリが餌を探すときは、ジグザグに進んだり、ループ状に進んだりで、直進などと、およそ効率の悪い、探し方はしてはいないように思う。そして今、観察を続けている一匹のクロヤマアリは、およそ10メートル、数歩先をも見渡せないような泥砂漠をまっすぐ進んで、巣穴のそばまでやってきた、しかしただの一匹も迎えには出てこない。さてこの大きなセミの羽根をどうやって小さな巣穴に運びこむか。私には見届ける時間が無かった。

(2004/9/9)

<2004>
末羅23号
昭和28年正月  福田山人  末羅23号

僕にとってスイスよりももっと小さい国であってもいいのです。大砲飛行機軍艦のかわりに美しい音楽や詩やロマンスが生まれ軍国的な思想や精神のかわりに豊かな哲学や文学が栄える国、こういう国が僕の理想とする国であり、僕が人間としてすべての情熱をかたむけて愛するに値する祖国なので・・・この文は3年前の7月に88歳で他界した親父が発行していた同人誌からの抜粋です。この夏私は8歳、小学二年になります。佐賀県の山の中の炭鉱に住んでいました。学校への行きかえりに父の事務所に顔を出していました。思い起せば幸せな時代だったかなとつくづく思います。
その後同人誌は31号まで続いています。この頃から景気が下り坂になったため,最終誌には全精力を会社再建に向けるようにしようと呼びかけてありました。半世紀経ったこの同人誌はいま僕の書棚にあります。父の手作りの紙箱に書いた背表紙とともに収まって。                                       

(2004/5/31)

<2004>
暫くぶりに恩師に会った
暫くぶりに恩師に会った。今回は師の大学学長就任を祝う集まりであった。

挨拶に立たれた師の話し振りを眺めながら、40年に及ぶお声がけを頂いたことを振り返り深い感激に浸っていた。
祝賀会は話が盛り上がり、其の夜はなかなか寝つけぬまま、翌朝はいつもより早い散歩に出た。桜が散り、今は楠の若葉がきらきらと輝き、ひときわ鮮やかに朝の光に揺れていた。公園の門構えとして植えられた三本の楠の樹だが、中央の大楠と左右の二本の樹齢の差はもちろんのこと、茂った若葉にも樹齢の違いがはっきりとあるのに気がついた。いかにも初々しさに溢れた明るい若葉と、落ち着いた品のある若葉色の違いである。
其のとき法隆寺の宮大工棟梁西岡常一の本の中の一文を思い出していた。
「樹齢2000年の樹の若葉は、樹齢に見合った若葉の色をしています。若い樹と同じような若葉を茂らせているようでは使い物になりません。そんな樹の幹にはきっと大きな洞があります。」
・・・・というようなことが書いてあったと思う。

昨夜お会いした恩師のお姿を思い返しながら、師は素晴らしい人生を歩んでいらっしゃるとつくづく思った。それに比べて吾が人生のなんと軽いことよと思わずにはいられなかったのである。               

(2004.4.18)

週末は仕事
  この春、吾が末子が晴れて高校野球の強豪校に入学した。
私は末子が野球を始めた小学一年の夏以来、毎週末をグラウンドで楽しく過ごしてきた。
それは子供の所属チームのためと云うより、むしろ我輩自信のためであったように思う。
平日は狭い工房で終日机に向かって座業をするためグラウンドに出て動き回る事が結構楽しかったのである。
時には三日遅れの筋肉痛に見舞われたり、疲労感一杯で仕事に支障をきたしたこともあったが、それとて楽しそうな子供たちのユニフォーム姿を遠くに見ながらの作業であり、多少の暑さ寒さなんてそんなに苦痛ではなかった。
そんな週末を中心に生活のリズムが刻まれていた。

 それがである・・・・今は夕方工房から帰宅して、食事のテーブルについても、会話に弾みが付かないのである。 ・・・未だ帰ってこないの、電話してみて・・・ もう終わったんじゃないの、電話したの? ・・・電話に出ないの?

 もう一度電話してみて・・・ こんな一連の儀式みたいなものが抜けてしまっているのである。
息子が入寮して一週間。 朝晩の「心配会話」の必要がなくなり、気抜けした日々が始まったと思い始めた矢先、今新たに神奈川県大会が始まって、吾がワイフは再び生気を取り戻した。
テーブルに開いたぶ厚い手帳に、せっせと試合のスケジュールを書き込みながらピアノレッスンのやりくりで唇をかんでいる。
アーアとため息をついては見せたが、再び始まる野球のこと故、まんざらではなさそうである。

 一方、毎週末を息子の応援と決め込んだワイフを横目に、毎週末は仕事か応援かとフラフラな精神状態になるのが判っていても、こういうことには至極鈍感なワイフからの誘いの一言を心の隅で期待しながら、週末は当然仕事だ・・・と言い放っている寂しい我輩なのである。 ・・・ちなみに、先週末は、大切な息子のデビユ―戦と云う事で・・・、試合はしっかり見てきました・・・です。                                         

(2004/4/13)

マルガリータ
 
 寒に入ったというのに、長男が散歩犬の毛を刈り上げ「マルガリータ」になって戻ってきた。
丁度夕食時で全員が夕食のテーブルを囲んでいた。
ドアーから吾が愛犬が嬉々とした様子で飛び込んできたのだが、一瞬全員が凍って、次の瞬間大爆笑となった。
全身をフサフサの毛につつまれていたポメラニアンが、なんともバランスの悪い・・・デザインに失敗した四足動物のぬいぐるみと化していたのであった。
私は正視できなかった。
不思議な体つきはもとより、瞬時に誰かに似ているなと思ってしまったのである。
  かくして翌朝の朝散(歩)はリードを繋いで歩けないなと思ってキャンセルと相なった。
そして数日間は声を掛けることも、腕に抱きかかえることもしなかった。
主人たる私にカマワレ無くなった愛犬は自信の置かれた境遇に気付くはずもなく、一週間がすぎてしまった。
今、愛犬との散歩は再開されたが、ヒップホールを丸出しのまゝ、ガニマタ気味に前を歩く彼を、いまだに正視できずにいる。

(2004/01/31)

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