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空を泳ぐ
 日毎に朝夕の涼しさが増して、寝心地の良い季節になりました。
夢はよく見るほうだと思いますが、数日前にめずらしく二晩続けて空を泳いでいる夢を見ました。
大きな声で歌を歌いながら両手を一杯に広げて大空を舞っていました。
また、高台から谷へ向かって、両手を翼のように広げて飛び立ちます。
その谷はまぎれもなく子供時代に遊んだ入り江につながる小さな谷そのものです。
一雨降ると水に浸かってしまう草地に大きな岩が一つごろんとあって、この岩の上から、足元に集まってくるエビを捕ったことや、
水かさが増した足元を大きな鯉が悠然と泳ぎ去ったり、トンボが飛び回ったりと、サンクチャリーのような小さな入り江でした。
谷の奥には大きな柳の樹が林立して狭い空を塞ぎ、そこからいつも冷めた夕闇が迫ってきました。
本当にひさしぶりに見た空を飛ぶ夢は、体の中を冷たい風が吹き抜けるような感覚が、いつまでも残っているような感じがして、
それは丁度、全身麻酔から戻る半覚醒時に感じたスーと冷たい感覚に似ているのではないかと、
おもわず布団の襟元をしっかり閉じていました。( 2007/10/12)
  
秋の到来
  

今年は夏がふいに終わった感じがします。
8月の終わりの夜、しずかに雨が降り、翌朝には虫の音が農道を包んでいました。
そして其の日の夕方には居室の外でコオロギが鳴きはじめました。
私は家人をうながして期待を込めながら窓を開け、涼風を室内に迎え入れました。
今年の秋は其の気配を見せることなく夏の背後に迫り、一夜にして夏の名残を消し去ったようです。
涼風の吹く頃を待望して交わす、時候の挨拶にも戸惑うほどの急ぎようであります。
今朝になって田んぼには水が張られていましたが、これも気温の急降下に対する手当てなのでしょう。
天然は一年を通じて何もかもが一昔前とは違ってきました。
これは60億の人災の影響を受け始めた水の惑星の悲鳴なのでしょうか。  (2007/08/19)

 

ツガニ
  熱でムッとする朝、気がすすまないまゝいつものようにいつものコースへ吾が愛犬と散歩に出かけました。
いつものようにととはいったものの、今朝は暑さで眠りが浅くいつもよりは1時間程早い午前5時半ごろです、
すでに夏の太陽は黄ばんだビームを照射してきます。
愛犬と私は、散歩コース最後の段丘下の日陰を目指して、川面に餌を漁る鴨達のいくつかの群れを立ち止まって観察することもせず
に、愛犬のリードを張り気味に崖下の日陰まで歩いていきました。
崖の下の日陰は巾40センチほどのU字溝がくねくねと伸びていて涼しくて、この日陰まで頑張って歩いた老犬は視点が定まらないよう
にあえぎながら暫く休みます。
一方私はここの日陰のおかげで、額に手をかざして水面に影を作り水の中の探し物をするように、毎朝溝の底に潜んでいる「もの」ま
ではっきりと探すことが出来るのです。
段丘崖に沿って造られたこのU字溝を流れる水を見ているとその変化から、農業用水としての比率が高い事がわかります。
水位が不安定で水中の生物には危険なこの溝ですが、とはいえこの時期ここにはドジョウ、サワガニ、アメリカザリガニ、カワニナ、
シジミなどが棲んでいます。
そして今日は大きな甲羅の蟹を見つけました。
水中でうずくまるようすから脱皮した直後だろう、今ならばハサミで鋏まれる事も無いなと思い、闇雲に水中に手を伸ばして
袋の中にカニを放り込んでしまいました。
其の時この重く硬い甲羅はひょっとすると「ツガニ」かも知れないと思いました。
家へ戻って甲羅の巾を計ると5.5センチ、肢を広げると私の手よりも大きなモクズガニのメスでした。
10本ある肢のうちの右の第2肢が根っこから欠けてありません。
恩田川に今でも時々姿を見せるサギか大きな亀にでも襲われたのではと思いました。
このモクズガニは秋の到来とともに恩田川へ出て鶴見川を東京湾の汽水域まで下り、そこで産卵をして,再びこの地域まえ遡上する。
そんなけなげなモクズガニの生活史を、今私が絶ってしまうわけにはいけません。
今はお盆でもあるし、このツガニを週末には帰して来ようとおもいました。
子どものころ、昼間でさえも日が射さないような深い谷間に遊び、そのとき見つけた、誰かが仕掛けた籠に何匹も入っていたツガニを
見てその様子が恐ろしくて驚いた事が思い出されます。
はるか50年も昔のことです。
今日は62年目の終戦日、1945年8月15日、私の誕生日でもあります。合掌。(2007/08/15)

  
夏至の朝
  めっきり水量が減った恩田川の川面に、葦の茂みから突然親子のカモが啼きながら飛び出した。
猫か何かに追われたのかと、暫く茂みを見ていた。
すると茶色の細い塊がスーとコンクリートの上を動いて茂みの中に消えた。
その消えた残像を思いながらイタチだと思った。
顔見知りの散歩人に話すと、この川にはイタチがいますよとの事だった。
水を止められた早苗が育っている田んぼでは日毎に狭くなっていく水溜りの中では、オタマジャクシの密度が増している。
今日は恵みの雨が、彼らの水溜りに降ってくれるか、これからの雲ゆきが鍵になる。
愛犬の鼻先では二羽のセグロセキレイの幼鳥がツツツツと走っている。
日差しが優しい夏至の朝でした。   (2007/06/22)

カモのひなが育っています

  昨日、カモの雛を見つけました。
二羽ともかなり育っていて、どうして今まで気が付かなかったかと思うほどです。
今朝は昨夜の雨で水かさも増し、もしや流されでもしたのではないかと気になり、探したのですが、一羽だけで飛んできた親鳥が、
着水してまっすぐにコンクリートブロックを登りきり、長い頸を葦の茂みに突っ込んで、中の様子を気使っていました。
その先にもう一羽の親と子ガモがひそんでいるのでしょう。
今朝も流れの中では、鯉の背びれが活発に動いて川沿いの道にはアジサイの花が揺れていました。
ちょっとひんやりした朝でした。  (2007/06/11)

レオピン・・・
  帰路、乗換駅のホームで、電車を待ちながら、電飾で浮き上がった看板を見るとはなしに見ていたら、
緑色の薬局の名前の上に「レオピン・・・・」とカタカナの文字が目に付いた。
随分前に呼んだ開高健の著書「知的な痴的な・・・」とか言う本の中の一文に、開高がべトナム戦争に従軍中、ジャングルの中でべトコンに追われて逃げ回り、泥まみれになりながら飲んだ酒の名前だったのか、勤労動員先の操車場で貨車を押しながら、
昼休みに親父連中に聞かされた、頭がくらくらするほどのエロ話を、帰宅して思い出しながら飲んだ、
栄養ドリンクの名前かなんだか忘れてしまったけれども、、開高独特のしゃれた文章とそのリズムのよさで何度か読み返すうちに、
なぜか「レオピン・・・」というなまえを,脳の奥で憶えていたらしい。
緑色の看板が目に入って、レオピン・・・という文字が網膜に写った瞬間、団子鼻と細い目でニャツと笑って、
持ち上げた酒のビンを指でピンとはじいてみせる、いたずら坊主のような顔を思い出していたのであります。  (2007/05/18)

何でまた急に「特待生問題」

  特待生問題で全国の高校野球部から悲鳴が上がっている。
今朝の新聞では吾が横浜高校が連盟に報告を済ませたとトップで取上げたスポーツ紙もあった。
西武問題から始まったこの騒動は、全国の高校野球関係者のあいだでは、毎年同じ時期に当たり前のことのように「優秀な子供の
動向」が話題になっていたはずで、それを連盟幹部は知らなかったのであろうか。
今までほっかぶりしていて、なにをいまさらの感がする。
球宴真っ盛りのいま関係生徒の対外試合を禁止は余りにも酷であろう。
連盟は処分を撤回して、早急に第三者による、野球協約改定準備委員会のようなものを立ち上げて、オヤシラズのような、
「清く、正しく、美しく」の一項を時代に合わせて欲しい。
こんなものを残しておくと、いつまでも食べたモノが引っかかり、虫歯の原因にもなってしまう。
私学が良い生徒を集めて校名を上げようと「企業努力」するのは当たり前のことだと思う。
時代の流れをを見てこなかった連盟の役員の責任はどうするつもりですか。(2007/05/02)
小鳥の巣
  今朝も雨空を見上げながらの通勤になった。
この時期の雨は新緑のみずみずしさが一層きわだって、実に良い。
工房の近くには大木が残された屋敷林があって、茂みの中からは年中鳥たちのさえずりが聞こえている。
去年の秋、電話線か何かのケーブルが高い枝葉の茂みの中を通っていると云う事で,作業車で随分太い枝を伐採していました。
するとシイノキの高い枝先に大きな巣(たぶんカラスだと思う)の影がくっきりと現れました。
ところで、今私が帰宅する道筋に(帰路ですが、運動の為青葉台から歩きます)九個の鳥の巣をみつけています。
これらは一個を除いてはすでに今は使われていないものばかりだと思いますが、この一週間ほどのうちに緑の若葉の中に
隠れてしまいました。
細い枝状の巣材でできたもの、ビニール紐をほぐしたようなもので作った、見るからに暖かそうなもの、
よくもこんな不安定な場所をと思えるもの、風に飛ばされて、危うく宙吊りになってしまったものなどで、カラスの巣一個以外は、
両手ですっぽり包み込めるほどの小さなものだが、どんな鳥が巣を掛けたのか判らないので、これから一夏かけて,
この並木を出入りする鳥たちを観ていたいと思っている。(2007/04/25)

甲子園球場の開幕式を見ながら

今甲子園球場では熱戦が繰り広げられている。
今年、横浜高校の出場はかなわなかったが、開幕式の行進で選手たちの先頭を進む、優勝旗を抱えた高浜と両腕に優勝杯を抱いた
浦川の姿が私の眼をひいた。
彼らに残された高校野球は四ヶ月余り、高浜にはキャプテンの重圧を跳ね返してダイヤモンドを縦横無尽に走り回って欲しいと祈るば
かりである。
そんな思いで二人の入場行進を見ているうちに思わす落涙してしまった。
いま行進する球児たちのうちにも責任という重圧に押しつぶされそうになりながら歩調をあわせている子供もいるのだろうと、
去年この甲子園球場を隊列を組んで行進した末子と仲間たちの映像が重なって見えたのである。
 去年秋のドラフトでプロ入りした末子はつい先日、一軍で一打席立たせてもらった。
結果は三振だったが、思い切りバットを振りぬくことができたようで、観戦した人のそんな話を聞いてホットしたのである。(2007/03/26)

かげろう
  朝のホームで電車を待つあいだ、線路の先を眺めていたとき、陽炎(かげろう)がたっていることに気がついた。
あちこちで田おこしが始まった十日市場近郊ですがが、水分を吸って黒々とした田んぼがうっすらと霜の薄化粧をしていました。
この冬は記録ずくめの暖冬だったのに、昨日になって新潟市内で初雪が降ったそうですね。
とはいえ、われらがが太陽の恒転は原子時計のような正確さで・・・私は天動説など信じてはおりませんが・・・日毎に高度を上げて、
寸分の狂いも無く3月8日の高度になっているんだな、と風の凪いだ朝のホームで気付かされたことでした。(2007/03/11)