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2008


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今日から師走

 今日から師走。
やっと冬らしい日暮れを体感できる頃となった。
歩道のイチョウ並木も今が盛りと華やいで立っている。
こんな時期は少しぐらい寒く感じても帰りの足取りは軽く、足元に広がった落ち葉を踏みしめながら、蹴散らしながら大またで歩く。
ヘッドフォンから聞こえるスローなジャズシンガーの声に耳だけを傾けて。
 町並みを抜けると、残照の西の空には鋭い輝きの金星とそれに従うように木星が浮かび、細くシャープな月がおぼろげな丸い影を見せながら輝きを覇を競っ ている。
目を凝らして見ると丹沢山塊の漆黒のスカイラインが無限の宇宙と地上とを立て切ったように横たわっている。
目を東の空に転じると、一番奥に、横浜港のランドマークタワーの赤い光が点滅して、無数のジェット機の標識灯が低く高く、左に右にと流 れて、まるで無数の深海魚がうごめいているようだ。
 暗く冷たい 仕事帰りのウォーキングは、体ばかりでなく精神までもクリーンナップしてくれるような気がしている。
楽しいウォーキング、続けたいとおもう。    (2008・12・1)
ピラカンサの赤い実

  気が付けば、朝の風呂場に湯気が立っている。
昨日より昼間の気温が4度ほど下がって、14度の予報が出ていた。
刈り取った稲株から緑の芽が30センチほど伸びて、丁度早苗が 揃った頃のような田んぼには、スズメやハトの群れが舞い下りて「落
穂ひろい」に余念がない。崖の下の溝も水が澄んで、ここ数日は赤いザリガニもドジョウの影も見なくなった。
いつのまにかトンボの姿も見なくなって、広い空にはモズの高啼きだけが響き渡っている。
枯れ色に変わった畠の片隅の柿の木にはオレンジ色の実がたわわに実り低い朝日を浴びて輝いている。
川のそばの廃屋の小さなピラカンサが真っ赤な塊になってまるで炎のようだ。
  思い起せば、喧騒の渋谷から横浜に居を移したのは寒さを感じ始めたこの時期で、仕事の帰り道、暗い夜道でワーゲンのヘッドラ
イトに照らし出された生垣の真っ赤な実がピラカンサで、そのとき突然息苦しいほどの寂しさに襲われたことが思い出される。
20年も前のことである。   (2008/10/31)

稲穂

  雨があがった朝、散歩コースを何日振りかで普段のコースに戻した。
このコースは恩田川沿いに田や緑が広がって、散歩のたびに天然の変化を知らされて楽しいのだが、ぬかるみがあると泥はねで老犬の肢や腹が汚れて、帰宅後の面倒の煩わしさを思うと、雨のあとはいつも避けてしまっている。
  この付近の田んぼは異常と思えるほどのこの夏の暑さにも負けず、葉を茂らせ穂もつきはじめた。
そんな田んぼの中の一枚に、畦に沿ってぐるっと棒を立てて縦横に黄色の糸を張り巡らせた一枚が現われていた。
この田んぼは一人の腰の曲がった老人が耕作していることを知っている。
これだけの糸を張り巡らせるのに、おぼつかない足取りの老人が足場の定まらないあぜ道をどれほど往復したのであろうか。
私は田んぼの脇まできて立ち止まっていた。
この老人とは何回か挨拶を交わしたことがあって、一度は農道に停めた小型トラックを詫びていた。
そんな律儀な人柄であった。
  冷たい月夜に細い枝先で延々と糸を張り続けるクモのように、雨空の下、無言で黙々と糸を引きながら畦を歩いたのであろうこの老人、私にはその姿が緑の波の向こうに浮かんで見えたようにも思えた。
手塩にかけて稲を育てるというのはこういうことなのだなあと、あらためて、不平不満に満ちた自分の毎日と比べてしまった。
精進精進。昭和20年8月15日生まれ、の私です。 ( 2008/9/5)
                                                                

ホタテ貝
我が家の味気ない階段の上がりがまちのコンクリートたたきに沿って、玉石を敷き詰めた上に帆立て貝の貝殻が伏せてあります。
明るい日陰のなか黄や橙、紫を帯びたものなど、どれもがほのぼのとした淡い色で、 私はその色がなんとも優しく思えて気に入って
い ます。  時には肢元を気にしない吾愛犬が2つ3つの貝殻をひっくり返したりすることもあって、そんなとき時折、貝殻を透した淡い
光で育 った草が、無神経に折りたたまれた携帯用の傘に似た姿で現われる時もあります。
  この貝殻は昨年の冬、熊本に住む、幼友達から季節の挨拶か何かで送られてきたもので、皆で美味しく食した後で、ゴミの日を
待つ間 、送られてきた発砲スチロールの箱に入れてあったものを取り出し、洗いなおして玉砂利の上に並べたものです。
  以来私は、玄関を出入りするたびに、玉砂利の上に並んでいる淡い色の貝殻に目をやって、彼らがかって生きていた海のにおい
の記憶を辿ったり、海色のフィルターを掛けた目で眺めているのであります。
  自然はそのものに最もふさわしい色を与えた、そしてそのものが生を終えた今になってもまだ依然として美しいまゝそこにある。
こんなことがうらやましく思えている、この夏であります。
                                                                   (2008/08/06)
水溜りのオタマジャクシ
  重い空が続く今日この頃ですが、雨の上がった今朝は何日ぶりかで恩田川沿いの田圃道コースを散歩しました。
水かさが増してカモたちの姿はどこにもなかったのだですが、田圃を分けて川に向かう、車がやっと通れるほどの農道にできた水溜
りに無数のオタマジャクシが群れているのに気が付きました。
この道は私たちは3〜4日振りだと思いましたが、横を通りかかると、オタマジャクシたちが驚いて一瞬濁ってすぐまた澄んだ水溜りに
、こんどは泥色の影になって息を潜める二十匹ほどのオタマジャクシがはっきりと見えました。
この農道の水溜りのオタマジャクシたちはここで生まれたのだろうか、そしてなんでまたこんなところに・・・と驚くやらあきれるや。
   以前読んだ本に、砂漠に突然雨が降って、わずかばかりのくぼ地に一年のうち数日間だけ水溜りができることがあるという、いつ
になるか解からないその水溜りの出現に、どこからともなく現れたオス蛙とメス蛙の集団が、その小さな水たまりの周りに集まって、
赤い砂漠の月を眺めながらかどうか知りませんが、大騒ぎしながら一連の所作を行なって、めでたく産卵となるらしいのです。
そしてじりじりするような砂漠の太陽に焼かれた卵から生まれたオタマジャクシはたまりません、水溜りが干上がるまでに大急ぎでカエルにならなければならないのです。
間に合わなければ、哀れ仲間のえさになるか日干しになるしかない運命にあるのです。   
しかし「人生いたる所に青山あり」というけれども何でまたこんなところにまで蛙が住まなくてはならないのか・・・・
こんなことを思い出しながら、今朝の散歩を終えました。 
                                                                     (2008/06/23)
車の移動八百屋

  先日、 通勤コース脇にスーパーが開店して、激しい風雨の朝にも拘わらず、入り口の外まで家族ずれで賑わっていました。
この開店したスーパーと目と鼻の先の路上では,ずいぶん以前から週に何回かの移動八百屋が店を開いていて、いつも客の姿があ
りました。
少し前に新しくした小型車の荷台に張った幌を巻き上げて、いつもカラフルな野菜や果物がきちんと積み上げられていて、几帳面そう
な小柄な親父がいつもテキパキと客をさばいていました。
お客が品物を選んで路上に並べた買い物かごの前に両の膝をついて、隣に置いたかごに一個づつ品物を移しながら、呪文のように・・
・・・150に120・・270・・270に350・・620・・620に280・・900・・900に240・・・。
その間、かごの前に立って待っているお客は、ひたすら呪文を唱える親父の頭越しに、目の前の塀の内側に伸びた庭木の方に目を泳
がせているふうなんです。
なにせお客と親父の完全な信頼関係ができていますからね。
それでも、親父の大きな前掛けのポケットに小さな電卓の一つでも落としておけば楽だと思うのに・・・などと横を通り過ぎながら眺めたものでしたが、スーパーの開店とともに、その姿も見られなくなりました。
ところが帰宅で其の場所を通るとき、時折、あの親父のひざまずいた姿と呪文のような声とが、私の心に幻のように蘇って くるのであり
ます。(2008,03,23)

十日市場町の自然5/6

  連休最後の日の夕方、ワイフと老犬と三人でいつもの恩田川沿いを散歩しました。
私はきらきらと光りながら流れる水表を眩しく感じながら、今年はまだ見ていないカメの姿を探していました。
しばらく歩いていると、川上から両手両肢を伸ばした格好で流れに身をまかせながら大きなスッポンが流れてきました。
この川にもこんな動物が棲んでいるのかと思いながら、明るい川面のスッポンを目で追い続けていました。
すると一羽のカラスがどこからか下りてきて、岸につかず離れずに流れるスッポンと並んで歩き始めたのです。
このとき私はやっとこのスッポンは死んでいるのだと気がつきました。
そのあとしばらくスッポンを追っていたカラスはついにスッポンを岸に引き寄せて、その肉にありつきました。
私はこの様子を見ていて、カラスの賢さとがまん強さを再認識しました。
この日は、岸に上がって甲羅干しをする5匹の大きなカメを確認し満足しました。
そして帰路には巣立ちして溝に落ちたモズの雛を見つけて、親鳥に威嚇されながら捕まえて木の枝に戻しました。
去年、ハトの雛を木の枝にもどした同じ場所でした。
そして今この頭上の茂みの中ではカラスも巣篭もりしています。
ベビーラッシュの季節です。
     (2008/5/6)